Mさん・35歳の体験談



私は仕事に関しては自分のブレーキがかけられず、
突進するタイプでした。
それまでにも10回ほど倒れて病院に運ばれるということがありました。
過剰な労働とストレスから、過呼吸・無呼吸の両方の経験もあります。
とにかくがんがん働き、「俺は進んでいる」という充実感こそが幸せでした。
仕事としては、飲食店のプロデュースをしており、年に20数店舗もの案件に関わっていました。

友人であり、共に働いていた仲間が職場で自殺してしまったことから、私の軌道はずれ始めたのです。友人ももちろん過剰な労働をしいられ、また悩みも持っているようでした。
その友人が亡くなった場所はオープン三日前の新しいお店であり、通夜やお葬式に行きたくてもお店のオープンに立ち会わねばならず、行けなかったことは今でも心残りになっていますが、その当時はそんなことを言ってられるような状況ではありませんでした。
会社側はその友人のことを「とんでもない奴」というレッテルで片付けていました。

友人の死後から一年経ったころ、会社でトラブルが重なりました。

私ひとりでほとんど全ての立ち回りをこなしていたのですが、社長はそれではいけないと思ったらしく、人員を投入し始めました。けれどその中で「出来る」と思える人間はひとりもいませんでした。育てるために頑張るのも私の役割でしたが、その人達の首を切るのも自分の役割だったのです。私の中では憤りがとても膨れ上がっていました。

あるお店を一軒任せられたのですが、そちらの内部の人間関係も分裂していました。そして別の子会社も経営がガタガタになり、本社も危なくなっていきました。全体の事業整理の為、毎月何千万円という金策に奔走するという日々が続きました。
毎日、3〜4時間パソコンに向かったかと思うと3〜4時間眠るということを繰り返していました。

同じころ、亡くなった友人の家族の弁護士が会社に訴えを起こし、それに対抗するための役割を私が任されたのです。友人の両親と私自身が会社を背負う形で戦うことになってしまったのです。本当に戦いたくはありませんでした。


この頃に一度、倒れかけたことがあります。私をかわいがってくれていた人と一緒に食事をしていたら急に眩暈がして、訳がわからない状態になってしまいました。息が出来ず、外に飛び出しました。すると今度は店内に入れなくなってしまったのです。外から店員を呼んで一緒に食事をしていた人を呼んでもらい、謝って家に帰ることにしました。

そのうち打ち合わせで話をすることが出来なくなりました。声が出ないのです。
そして仕事仲間などと一緒にいることが出来なくなり、誰かと食事をすることも苦痛になりました。
社長にその状態を話すといろいろな先生に訊いてくださり、「それはパニック症ではないか」ということがわかりました。

心療内科に行ってみることを勧められたので行ってみると、こちらとしてはゆっくり話したいことがたくさんあるにも関わらず、3〜5分ぐらいの診察で「パニック症です、会社を辞めてください」と言われただけでした。

その頃、乗り物がほとんど乗れなくなっていました。
バスも駄目、電車にも乗れない、車も駄目。車は個人のスペースを保てますが、首都高速道路で渋滞にはまった時、全身から脂汗のようなものがでました。この経験から車も駄目になってしまいました。移動手段は、いつでも停めて降りられる原付自動車でした。

仕事が遅くなり、社長たちと一緒にタクシーに乗り込んだときに、一番先に乗り奥の席に座ったのですが、「扉が開かない」ということに絶えられず、開けた窓からでも出ようとしたのです。その時は車から降ろしてもらいましたが、その様子を見て社長は私の症状が余程ひどいのだ、ということを悟ってくれたのです。

会社は辞めることにしましたが、会社側の要望で半年間残ることになりました。

精神科で一番の名医が集まっているとされている精神科を勧められ、行ってみるとそこは隔離されている病棟でした。さらに三重になったこちらからしか開けられない扉の向こうには、もっと症状のひどい患者がたくさんおり、叫び声が響いていました。そんな環境の中で半時間から1時間ほど待たされるのですが、本当に自分はおかしくなったのではないか、という気分になってくるのでした。

会社は辞めることになっていたので、序々に仕事は減っていきました。仕事が減るとパニック症はどんどんひどくなっていきました。


お茶を飲んで休憩できるお店は、自分が手がけた中の一店舗だけでした。
近くに友人が住んでいたので、その友人を誘って私の一部始終を話しました。そしてその友人から加勢さんを紹介されたのです。
会社で雇っていた有名な霊媒師や占い師など、何人も見たことがありましたので、そういった人に対する目は肥えているつもりでした。

会ってカウンセリングを受けました。

「〇〇で〇〇な風貌の男性が、あなたを殻に閉じ込めている。殻が厚くなりすぎて自分では出て行けなくなっている。殻を壊さなくては」という話をされました。それはまさしく社長のことでした。

「その人から見たらあなたは使い捨てのようなもの。今まであなたのポストにいた人もそうだったんではないですか?」と聞かれました。確かに前任者も精神的におかしくなって辞めていったのです。

気になっていた友人のことを尋ねると「それはこんな(風貌の説明)人でしょう、見守ってくれていますよ。大丈夫ですよ。」という答えが返ってきて、肩にずっと乗っていた重たい重たいものが、一気に降りていくのがわかりました。身体の痛みも、何もかも。
お墓参りにも行けていなかったので、行くようにとのアドバイスもいただきました。会社は辞めたほうがいいと言われましたが、そのとき既に退社する予定でした。

退社と時期を同じくして、また友人から今度は「部屋が空いているから事務所にしないか」という提案を受けました。新しく個人事務所をオープンし、コンサルタント業務を始めました。

事務所ができたので加勢さんにも来てもらい、集中的に診てもらうようになりました。週に一回のチューニング、月に一回は全身のチューニングをしてもらいました。このように最初の三ヶ月は身体を治すことから始めました。

ところがある日、クライアントとの待ち合わせしており、向かう為に地下鉄にうっかり乗ってしまいました。薬で症状を抑えられていたことで調子にのってしまったのです。
ホームに出たところまでは覚えていたのですがその後の記憶は断片的で、どうやら救急車で運ばれたらしく、ちゃんと意識が戻った時には病院でした。

加勢さんからは「薬をやめるように」としつこく言われました。私が薬を飲んでいるかどうかは、嘘をついても加勢さんにはばれました。後で聞いたことですが、「薬は麻痺させるだけのもので、神経をさらに追いやるだけのもの。やめなさいと言ってもなかなかやめないのはわかっていましたから、替わりにチューニングを頼りとしてすり換えることが必要でした。」とのことでした。

薬をやめ始めるとまた「外に出られない」という恐怖感が戻ってきました。伴って行動範囲も狭くなっていきましたが、加勢さんの読みからするとその狭まりは薬に頼っていることから比べれば何ということはないようでした。程なく症状は加速的に善くなっていったのです。

3〜4ヶ月で身体は治りました。


仕事にも身が入るようになり、カウンセリングも月に一回受けるぐらいになっていました。会社を設立するにあたり、運気に乗るために改名をしていただきました。いただいた名前は見た目にも格好良く、私の性質を表す「意味」も織り込まれた特別なものでした。

仕事の量もアドバイスに従い調整しました。資金的に苦しくなるかもという恐怖感があっても、本当に興味のある内容のものなのかどうかを見極め、選んでいくようにと言われました。次の年には良い波が来るということから見ると、その時の状況は乗り越えられる程度のものだったようです。
実際加勢さんの読みの通り、良い結果がさらに良い結果をを招きだすようになりました。

静養を取る事を勧められていましたので、少し長めの休みをとりました。その間に撤退した仕事先でトラブルがあり、静養に行ってなければ巻き込まれてさらに状況を悪くしていたかもしれない、ということがありました。この、静養に入る時期なども診てもらっていました。加勢さんの読みのうちだったのです。

友人から「場所も資金もあるから店舗を出さないか」という話を持ちかけられました。

加勢:「運気もありました。体調も戻っていました。コンサルタント業を淡々とこなす性質で生きる人ではないし、結果も出てきていました。結婚の話も持ち上がっていました。生活の下地が整ってきましたし、私のアドバイスをよく聞き入れてくださっていましたから、仕事の方の流れも作り易かったのです。先でそのお店は名刺代わりのような役割を果たすということがわかりましたので、その話に乗ることを勧めました」

お店をオープンさせ、経営者となることにしました。
その後も人事などで適材適所のアドバイスをいただき、お店が危なくなっても切り抜けることが出来ました。経営者である私と加勢さんでは、同じことを考えていてもそれを行うタイミングが違っていました。加勢さんを信用し、アドバイスに従ってきました。

そしてこの頃、とても嬉しい出来事がありました。
私のつらい時期も共にすごしてくれたパートナーと、結婚したのです。

自分にあったキャパシティの仕事、自分にあった縁の人達との仕事で、心の回転数は良くなりました。なので気持ちの負荷がかかりづらいのです。今では元気でどうしようもないぐらいです。
かといってパニック症にならなければ、今持っているお店も、その先に出てきた出店・事業拡大のチャンスも、結婚も、無かったことでしょう。これらのことは生涯忘れてはいけないと思っています。本当に今、とても楽しいのです。

現在は話題の開発地からのオファーがあり、その店舗作りに向かっています。これからの半年の間、一年に20店舗以上のお店を立ち上げていた頃のペースからは考えられないゆとりの中で、没頭してスタッフと共に作業しています。

「勝ちに向かっている、常に上を見ているということはあなたの下にいるスタッフ達の安心につながります。ひとつひとつを、一人一人を大事にすることは「成功するしかない!」という意欲にもつながります。」と加勢さんは言います。また、「仕事を通じてファミリーが出来上がってきています。リズムが合っています。そのうち運気も止まる時期がありますが、その時には吸収のための時間として視野を広めてもらいたいと思っています。やっと第一段階が終了したというところでしょうか。答えを与えるだけのカウンセリングには興味はありませんし、やりません。」と仰ってくださいました。

現在も道しるべとしての意見を聞き、自分でアイデアをまとめ、アドバイスを聞き・・・ということを繰り返しています。