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●バッチ博士と話す

私は本を読むのも、瞑想するのもお風呂につかりながら、ということが多いです。
それ以外の場所だと眠ってしまうか、気が散るのです。
先日はバッチ・フラワーレメディのワークブックを読むことにして、湯船に浸かりました。バッチ博士とはフラワーレメディを開発した方で、フラワーレメディとは花の波動を摂取することにより感情を癒すシステムです。
本を開きましたが、バッチ博士の肖像画を見たら瞑想状態に自然に入れたので、そのまま瞑想することになりました。その内容が面白かったのでここに記録しておこうと思います。クリスタル・ヒーリングを受けている状態に近かったと思いますが、ちょっと突拍子もないです(笑)。すみません。

その本にはバッチ博士の言葉が抜粋してたくさん掲載されていました。ふと、「バッチ博士ってきっとこんな人だろうなぁ」ということがとてもリアルに思い浮かびました。少し遊べるかもと思い、そのままイメージの中で話しかけてみました。

バッチ博士は太陽が照りつける中で帽子をかぶり、花を探しておられました。私の呼びかけにも言葉少なく、「ああ、またこんな幽霊がきた」という感じで、しかし感じ悪いというわけでもなくごく普通に応えて下さっていました。
私は博士に、「あなたの研究は未来ではとても感謝され、評価されている」ということを話しました。
花のエネルギーについてもっと知りたい、という話をしていた時だったか、私自身も花のエネルギーの中に入り込んでみたらいいんじゃないかということになり、花に身をまかせてみました(私はその場では幽霊みたいにふわふわしていて、何にでも同調できました)。

黄色の小さな花になってみました。自分のまわりにもたくさん咲いています。
日の出から太陽がめぐり、その間に光の質が変化すること、光が風に左右されることを感じました。太陽の光がカッ!と強くなるたびに、身体中に喜びと高揚感が駆け巡ります。その感覚は周りの花々にもあり、エネルギーの合唱のようです。その時、私の実体(in 湯船)では、ぶわっ、と涙が溢れ始めていました。
この喜びの感覚には理由はありません。生命としての歓喜です。この花はきっとマスタードの花なんだろうと思いました。理由もなく、突然落ち込んだり、ウツになったりしたときのためのレメディを提供してくれる花です。

もしかしたらバッチ博士は、こんな風にして花のエネルギーを感じていたのかもしれません。

木になってみてはどうだろう、と思いました。オークやビーチなど、木から作られているレメディもありますから。
しかし、そのイメージはすぐに自分の過去世と切り替わりました。私には「流木だった過去世がある」と先生から教えていただいていました。木ではなくわざわざ「流木」というのがなぜかというと、漂流している記憶のほうが強いからだそうです。
木としての平和な日々の後、私は流木になり海を漂いました。魚からついばまれ、海水に揉まれ、ずいぶん小さくなっています。鳥や蝶が飛んできて私の上に留まりますが、私には花粉や蜜を持つ花も、日陰となる葉っぱも、家を提供する枝もありません。自分の両手・両足を失ったような感覚に、切なくなり涙が溢れて溢れて、止まりませんでした。私はなんの役にも立たず、とても長い時間、絶望感とともに海を漂っていました。

これは自分でストーリー・メイキングして癒せないか、と思い、作り話をしてみることにしました。
海岸に流れ着き、人に拾われてオブジェになったりしてみました。悪くはないのですがどうも本意ではありません(笑)。他の部分のパーツとなっている木々との関係も微妙な感じでした。
そこで、元の環境に戻してみることにしました。そこは昔と変わらず豊かな森でしたが、木の世界にも世代交代はあったようで、新しい木がたくさんありました。マングローブの森のように、木の根元が水に浸かっています。私はその新しい木の根元に自分の身体(流木)をからめてみました。
しばらくすると苔が生えてきました。虫が私の上で休み、苔を食べています。私は大いに喜びました。自分自身を取り戻した、と感じました。
また長い年月が流れるのを感じました。私はちりぢりになり、水に溶け、他の木々の養分となりました。

水と虫や菌の作用で沈香や伽羅という香木はできあがりますが、私自身が朽ち果てることによりその環境を作り出していました。私はそのことのありがたさを感じていました。

流木だった過去世のストーリーの一連を癒し、バッチ博士のもとに戻りました。
「大きな木」というシェル・シルヴァスタインの本があります。自分の身体を与え続け、喜びを感じている木の話です。この話に感じる切なさは「羨ましさ」だったのかもしれないね、と話しました。自分は何も持っていないようでも、与えるという心があればどのようにも与えることができ、幸せを感じることができるのです。

博士はさらに私に教えてくれました。

「君は流木として海を漂っていた時、なんの役にも立たない自分、身体を失った自分を嘆いた。鳥や蝶に何も提供できないとして、自分の境遇を恨めしく思っただろう。だけど、鳥や蝶は、君の上で羽根を休めたんだ。彼らは、それで充分に恩恵を君からもらっていた。
わかるかな?君の流木としての過去世が実際に悲しい、かわいそうな物語だったのではなくて、君が悲しいという感情を選んでいたから、そういうストーリーになっていただけなんだよ。私が癒したいのは、そこなんだ。感情と捉え方によって皆の人生は大きく左右される。そのまま海に溶け込んで、魂の旅を続けてみるといい。」

そこで海に漂う流木に戻り、鳥や蝶が一休みしてくれているのを感じ、そのまま朽ちて海に溶けていきました。
そこでひとつ実感したのは、この地球上にある物質はなんであれ、朽ちて養分になり、また生命を形成する器となっていくというサイクルでした。
一片たりとも増えもせず、減りもしない地球上の物質の絶対量の中に、私達も、まわりのものすべても、属しています。「ああ、これも地球と一体感を感じることのひとつだな、生かされ、めぐり、つないでいることの輪なんだな。」と思いました。

プラスティックや化学化合物、薬、核爆弾に至るまで、すべてのものは私達の身体でした。
加勢先生が以前におっしゃった言葉が思い出されます。

「今は循環が途切れているものが多い。一方通行のものが多い。人工のものの存在が悪なのではなく、循環に戻せたらそれでいいんだよ。」

人工のものに対して「自然な循環をゆがめてできた化合物」という悪者的(笑)概念を選び続けるのではなく、人工でも自然でも、何でもいいから循環させること、粉々・ちりぢりになって養分となり、身体となる循環へ、それらのものを戻す技術を開発すること。
自然の行いからすれば迂回することになりますが、「行ったきり」になるのではなく「迂回して戻る」のです。その余分な道のところで、私達は便利さを享受すれば良いのです。

「ああ、そういうことなんだ・・・すごいなあ。」 私は黄色い花畑に戻りました。
バッチ博士が感じていたであろうこと、感情を癒すという意味、私達の身体をつくるもの、長い時間の間にあったことだとしても、すべてがつながった出来事であることを垣間見ることができました。
博士に感謝をして、瞑想を終えました。

「フラワーレメディが作られる植物のことをもっと知らなくては、触れることができないなら事典的データだけでも知っておいたほうがいいな」と感じていたのは、その植物をできるだけ詳しくイメージし、植物の気持ちになりたかったからだと改めて思いました。マスタードの気持ちにはなれましたから(笑)、他の花についても瞑想すると色々と知ることができるような気がしています。

もうかれこれ10年近く前、モルディヴ諸島でひとりの日本人女性と出会いました。その方のことを思い出しました。私にアロマテラピーはリラックスのためのものではなく、本当に身体を癒してくれるということを教えてくれた方です。ご自分の過去世をすべて思い出していて、その経験をすべてアロマテラピーの仕事に活かしているとおっしゃっていました。その方のお話はすべてが大衝撃でしたが、今やっと、少し垣間見ることができたような気持ちです。

バッチフラワー・ワークブックを後でもう一度開くと、「バッチ博士は神のような方だったわけではなく、短気なごく普通の人だったので、このようなレメディをつくることができた」と書いてありました。なんとなく嬉しくなります。「神様みたい」とまでは行かないにしても、素晴らしいと思う人が、自分の周りにもたくさん思い当たるからです。

それぞれの人が、それぞれの場所で、過去と未来につながっていきますように。