
三本目のレメディがこのウォーター・ヴァイオレットです。
やはりどうしてこれなのかはわかりませんでしたが、私自身とても理解しづらいレメディだったので、はじめのうちにそういうものにこういった瞑想しづらいものに慣れておいた方が良い、ということで出てきたのだろうと思っていました。
このレメディを見ると、必ず思い出す友人がいます。
何にせよモデルがいるということは頼もしいことです。実際、バッチ博士も友人の病気のためにこのレメディを作ったといいます。
しかし、博士がこのレメディを探し当てるのに苦労なさったように、このレメディを必要とするキャラクターの人は自力でなんとかしようとする性質のため、何かに頼るということを思いつきもしないのではないか、とも思えるのでした。なぜこのレメディがあるのだろう?どの解説を読んでも、奥歯にものがはさまったような感じがします。
私が思い出す古い友人は、私が相談を持ちかけるばかりで、彼女の悩みは聞いたことがありませんでした。今どうしているのか、学校を卒業してどこの会社に就職したのかなど、詳しく聞いたこともありません。才能にあふれた人でしたが、ごく普通の会社勤めをしていたのではないかと思います。
天職は違うところにあるんじゃないかといつも感じていますが、彼女自身、賞賛を望みながらも人前に出ることや、たくさんの人と関わることは避けたいようでした。
協力体制を取り、外にひっぱり出そうとしても、何かを一緒に成し遂げるには自主性がなく人任せで、計画は遂行できても私にとって気持ちの良い経験にはなりませんでした。
自己管理能力も高く、体力もあり、美しくもあり、家柄も仕事柄も良い。申し分はありません。
文字通り、私が言ってあげられることはなかったのかもしれない、とも思えてきます。
バッチ博士のその友人は、病いに倒れ、誰の助けもかりようとしませんでした。
すべてが膠着状態に入っていくのを黙って見ていられず、一体どこに糸口があるのか・・・その特別な花は、どこにあるのだろう・・・と、土手か丘のような急な斜面の上に立ち遠くを見回している、博士の絵が浮かびます。
その他に、「この人とこの人にも、このレメディは必要」と数人のヒントとなる人物がひらめいて、一日目の瞑想は終わりです。
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さて一体、このレメディが必要だという人に共通のことは、何だろう・・・と思っていたところ、ウォーター・ヴァイオレットのリストにあがっていなかった(笑)知人の話が飛び込んできました。
この友人は現在ヒーリング関係の仕事をしていて、たくさんの女性を癒しています。なかなか腕がよく、いろんなところに引っ張り出されつつあるのですが、どうも人付き合いが苦手であることから、それらの話を断ってしまっています。「ひとりでいたい」と思いながらも、そんな自分自身に罪悪感を持っていました。
すると彼女と同じヒーリングをしている先輩が、「本当に能力のある、すべてをわかっている本物のヒーラーは静かに活動しているもの。そんなに表に出たり活動的にならなくてもいいのよ」というようなことをアドバイスしたというのです。
前々から、このような意見はよく聞いていたのですが、賛成できませんでした。
出る人・出ない人、どちらにもそれぞれの役割があるだけです。どちらかが本物、というわけではないはずです。人前に出て多くに新しい考えを広める、多くから批判を受けることで、逆に人の精神を目覚めさせるという役割もあれば、そういうところを利用したいと思わない人々を癒す立場の人も必要です。
もしかしたら自分の本心とありがたい縁から目をそむけ、「霊的にはそれが正しいのだ」というように一方を正、一方を誤とすること、霊的なことを盾にするのはズルイよう・・・と思いました。(これも「在るように在るだけ」、「その活動は縁のないもの」、「私の決めつけ」、なのかもしれませんが:笑)
この出来事は、彼女にウォーター・ヴァイオレットが必要であることを示唆していました。
彼女が蓋をしてしまっている事柄が、あったのです。
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「やっぱりよくわからん、今日はバッチ博士の思想でもおさらいしよう」と瞑想はさておき、『バッチ博士の遺産』という本を読みながらお風呂に入ることにしました。
私はこの本を二冊持っています。「お風呂用」と「保存用」です。しかしその時、手元には保存用しかありませんでした。お風呂用をオフィスに持っていったままになっていました。ヨレヨレになるのがいやなので、お風呂に本を持ってはいるのはやめようかと思いましたが、どうも瞑想よりそれを読んだほうがいいような気がしたので、「きれいに読むようにしよう」と自分を納得させ(笑)、本を持ってお風呂に入りました。
すると「32ページを読んでみてほしい」と博士がいいます。
(あまり瞑想状態!とがんばらなくても直感が入るようになっています。この話も後で!)
つらつらっと読んでいて、心にひっかかったのは以下の節でした。
“ 過去数世紀の間、(中略)ハイアーセルフの真の本質、現世とは別の前世や来世の知識は、
私たちの行動一つ一つの基準にも刺激にもならず、ほとんど意味を持ちませんでした。
私たちは、これまで偉大な行為をむしろ避け、超肉体的なものを無視し、
私たちの直面する様々な問題の埋め合わせをするために世俗的な喜びに浸り、
それによりできるだけ暮らしを快適にしようと試みてきました。
そのために、地位、格付け、富、そして世俗的な所有が、
ここ何世紀か人生の目的になってしまいました。
このようなものはすべてはかなく、
物質に執着し、不安感につきまとわれながらでないと得ることができません。
ですから、過去の世代が得た心の平穏と幸せは、
人類が本来享受できたはずのものより、はるかに低いレベルでした。 ”
「バッチ博士の遺産」バッチホリスティック研究会刊より
この花は、水面下にシダ様の繊細な葉をめぐらせ、水面上に花を咲かせます。つまり古来からの智恵により(シダは古い生命体です)、実りをもたらします。空気と水という別の世界をつなげているということでは、顕在意識と潜在意識をつなげるということでもあります。
これで友人たちと上のヒーラーの彼女の、共通点がわかりました。
ウォーター・ヴァイオレットのエネルギーが必要な人は、魂の栄養となってきた過去世が何かを訴えかけています。前世でなんらかのことについて経験値が高く、現世では人々にその徳を与えることができる人たちです。彼らにはやるべきことがあります。本人にとっては「カルマ・クリア」であり、人類にとっては「カルマ・バランシング」です。
徳を積むためには自分の存在だけでは成しえず、人からの恵みがあってこそです。
ウォーター・ヴァイオレットは、その恩を返す行動をとる助けとなってくれます。
誰にでもある時期ですが、「自分が自分ひとりのものではない」時期がやってきています。カルマと徳も、表裏一体のものなのでしょう。
このレメディが必要な人は、「生」というものを自分のやり方でとても理解している人ですから、自分の内に真実があると知っており、他からの情報を入れる必要性がないと感じています。「頭が固い」という言葉と同じく「魂が固い」状態になっています。それはプライドが高い、うちとけないという態度に表れます。
自分の役割をあきらめたり、それに抵抗したりしていると、本人の魂同様、心や身体に膠着状態が生まれ、解きほぐされないという感覚を持ち続けることになります。「水にたゆたう」というようなゆったりとした感覚を心の底から感じることはできないでしょう。
より高い徳へと動いていくこと、人は奉仕する役割へとまわることで、得た徳を全・生命体へ均していきます。どんな小さなことでも、それに気付いていない人へ「気づき」を受け渡していくことで、カルマの波はなだらかになっていきます。
それはウォーター・ヴァイオレットが咲く、とても静かで清浄な水面のようです。
また、蓮の花との違いが気になりましたが、蓮の花はより普遍的な存在であり、魂の根っこのエネルギー、共通意識に働きかけるような性質です。ウォーター・ヴァイオレットの方が私たち個人の行動や在り方といったものに近いのだそうです。
この花が咲くのは一時的な水の溜まり場です。日常の中の瞑想状態を表しています。
そして水の世界は、様々な世界とつながっています。これは実際の場所においてだけではなく、別の次元も含めてのことです。このレメディを摂ると、瞑想状態やチャネリング状態になりやすくなるような感じもします。
おかげで頭のてっぺんが開いたような感じがし、冴え、眠りが浅かったような・・・。
また、この花はきれいな環境を好み、汚染に弱いため、現在失われつつあります。
これは物質主義が人類の発展においてこれ以上まかり通らないという象徴ですが、物質と同じく、心も一方通行ではなく、人との間にサイクルを持つ、循環する、交流する必要があるということも表しているのではないでしょうか。
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